SOHO'S REPORT
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2001/09/13 シンガポール物語(2

前回、シンガポールでの不安な部分を書いたが、今回は、おもしろいと感じるものについて取り上げてみたい。

それは、何と言っても、いろんな人に出会うということだろう。多民族国家であることは以前も書いたが、シンガポールに住んでいる4人に1人は外国人であるそうだ。そう言われると、主に外国人が住んでいると思われるコンドミニアムはたくさんあるし、いろんな言語が行き交っているし、食べ物もその種類の多いこと。それで、私の周囲にはどんな人がいるのか考えてみた。

ア・台湾に17年滞在しその後シンガポールにやってきたという中国語もペラペラのポルトガル人。
イ・シンガポールにきて11年になるというイギリス人。
ウ・ご主人がイギリス人で、海外赴任は7カ国目というフィリピン人。
エ・こちらで、陶芸を教えているというイギリス人。
オ・シンガポールが4カ国目という日本人。

その他にも10年以上こちらに住んでいるという日本人はめずらしくない。ちょっと数えただけでも、かなりいろんな経歴をもった人達ばかりだ。日本に居たのでは、こういう人達とは出会えなかったと思う。それだけ、シンガポールには世界各国から企業が集まっていると言えるだろう。

彼等には、皆それぞれに故郷があり、育った環境も違う。異国の地で生活するには、きっといろいろと大変だったに違いない。しかし、それを見せるそぶりもなく、実にスマートに生きている。
そう、彼等はとても前向きだ。○○人としてのアイデンティティーは持ちながらも、他の文化や思想にも理解を示し、お互いに歩み寄ろうとする姿勢がある。誰も、私が日本人だからと言って、相手にしないということはない。

それに比べると、日本人は、周囲の日本人以外の人に対して、いろいろと配慮に欠ける事が多く、自分達のやり方を、日本と同じように通そうとしているのではないかと思う。前述の彼等の姿勢から学ぶべきものは多い。

しかし、ここで出会った人達の運命は、景気次第ともいえる。景気が悪くなれば、すぐ違う国へ移動してしまうだろう。各企業とも、人件費の高くなったシンガポールからマレーシア・タイへと移動していたが、今度は、中国へのシフトが盛んになってきているのだ。

あと何年、この国の繁栄が続くのか分らないが、自分達が作った企業でなければ、母国に留まることが少ないことの証明となりつつあるようだ。実際、シンガポーリアンが作った企業で、世界でNO.1と言えるものは少ないのではないだろうか。
雇用の面で、外国企業に依存しているとも言えるシンガポールは、今後、どのようにそれから脱皮していくのか、非常に関心をもっている。






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